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プロジェクトロゴができました | 地域みらい大学

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vol.3

プロジェクトロゴができました

2015.1.16

震災20年を機に、神戸で生まれた震災の教訓や知恵を集め、多くの人に発信するプロジェクト『震災20年 神戸からのメッセージ発信』の、プロジェクトロゴとコピーを公開しました。

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特設サイトはこちら → http://1995kobe20th.jp/

アクセスすると、神戸の人々の写真とロゴマーク「BE KOBE」が現れ、スクロールすることで、当プロジェクトに込められた想いを表すメッセージが現れます。

写真は、このサイトのインタビューに登場する人たちです。サイトにアクセスするたびに、ランダムにいろいろな人の写真が表示されることによって「神戸は、さまざまな人の中にある」ことを表現しています。

この事業では、インタビュー・アンケート・ワークショップの開催などを行い、さまざまな人の声を集めてきました。その中で浮かび上がってきたのは、神戸を良くするためや、他の被災地の復興のために力を尽くす人たちの、深い想いでした。

神戸の人たちの心の中にある、「人のために力を尽くす」という想いを集約した言葉が「BE KOBE」です。この言葉を旗印に、この想いを多くの市民が共有するとともに、震災を経験した神戸として、世界に向けて発信していきます。

vol.2

「阪神・淡路大震災と人生」 「神戸の過去20年と未来」について、共に考える

2014.10.19

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阪神・淡路大震災から20年を迎えるにあたり、震災で得た教訓や知恵を集め、世界に伝えていくプロジェクト「震災20年 神戸からの発信」。そのプロジェクトの一環として、2014年10月19日に講演会&パネルディスカッションが開催されました。

小説家・真山仁氏による講演「阪神・淡路大震災と作家人生」第1部には、『ハゲタカ』などの経済小説を中心に、ベストセラーを次々に生み出している小説家の真山仁さんが登場。阪神・淡路大震災の体験談や、2014年3月に刊行された、東日本大震災を題材にした小説『そして、星の輝く夜がくる』について、とても熱く語られました。

※真山さんの小説家人生や震災体験について、くわしくはインタビューページをご覧ください。
「20年前の被災経験をもとに、東日本の被災者にエールを送る」
(http://1995kobe20th.jp/2014/06/508/)

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なぜ、生き残ったんだろう、という想い神戸市垂水区の自宅で、阪神・淡路大震災が起こる30分前まで原稿を書いていたという真山さん。ほとんど被害はなかったものの「なぜ、生き残ったんだろう」という思いが今でも消えず、震災後は余生を送っているように感じているといいます。「あの時、だれかひとりでも、どうしてそう思うのかと聞いてくれる人がいれば、何か変わったかもしれない」と考え、「もっと強くなろう」という気持ちが強まっていったのだとか。

東北の大地を染めた、キリンソウ2011年に起こった東日本大震災と前年に発表した作品をきっかけに、真山さんは小説『そして、星の輝く夜がくる』の執筆をスタート。阪神・淡路大震災の被災経験を持つ教師が東北の小学校に派遣されて…被災地にいる子どもたちや大人の心情や状況がいきいきと描かれた作品となりました。

“ 震災後、明るくふるまう子どもたちの様子を伝える報道に違和感を感じていたんです。子どもたちは「明るくしなきゃ」と必死だったのではないだろうかと。だから、大人に見えない子どもたちの目線で、どうがんばって、どう生きていけばいいのかを書きたいと考えました。”

東日本大震災が発生してから現在に至るまで、被災地の変化を見守りたいと、小説の取材をかねて岩手県や宮城県を頻繁に訪れているという真山さん。今年、久しぶりに訪れた被災地にはとても大きな変化が見られたそうです。

“ 2012年まで、ヘドロと海水の被害で植物が生育する環境ではなかった内陸部に、2013年の夏ごろから木や草が生えはじめました。先日訪れた際には、どの場所へいってもキリンソウが咲いていて…あたり一面、まっ黄色に染まっていました。自然は自らの力で復興している。けれど、少しずつ元に戻りつつある風景を見ながら、この先、津波の記憶は残っても、人々はいろんなことをわすれてしまうんだろうなと思ったんです。小説は経験を客観的に伝えることができ、登場人物を通して感情まで表現できる。小説だからこそ、経験した人の声を伝えていくことができるのではないかと思っています。”

大事なことは「だれに、どのように」伝えるかここからは質疑応答を交えながら話が展開、神戸市が進めている「震災20年 神戸からのメッセージ発信」プロジェクトにも話が及びます。経験したことをどう伝えるか、が大事なのだと語る真山さん。

“ このプロジェクトでは、多くの方の証言を集めていますよね。そこで重要なのは「だれに、どのように」伝えるか。神戸市民の約4割が阪神・淡路大震災を経験していない時代になったからこそ、経験者の声がいっそうリアルに響くと思うんです。”

「震災20年 神戸からのメッセージ発信」
(http://www.city.kobe.lg.jp/information/project/information/kobeaction/)

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この20年間、生き残ったことに後ろめたさを抱きながら歩んできたという真山さんは今後、そんな想いを伝えることをライフワークにしていきたいのだと語ります。

“ 震災について考える時、中心に置いてほしいのは生き残った人がたくさんいるということ。震災は悲劇だけど、今いる人たちがどうやって生きていくのかを考えることが大事なのではないかなと。経験をただ伝えるだけでなく、記憶を伝えていくことが重要なんです。とにかく、経験者の話に耳を傾けてほしい。そうすることで、この20年という節目に何を伝えるべきかがみえてくると思うんです。”

20年経った今だからこそ、できることがきっとあるはず。真山さんの経験や実感、強い意志がまっすぐに伝わってくるひとときでした。

パネルディスカッション「神戸の過去20年と未来について」第2部では、阪神・淡路大震災以降、まちを元気にする活動に取り組んでこられた方々をゲストスピーカーにお迎えして、パネルディスカッションが繰り広げられました。世代も住んでいる地域も、背景が異なる3人はそれぞれ、どんな想いで活動を続けてこられたのでしょうか。

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背景も世代も異なる3人が、コツコツ続けてきたこと「神戸クロスロード研究会」の代表理事をつとめる浜尚美さんは、阪神・淡路大震災発生当時、妊娠4ヵ月。神戸市の職員として獣医師の任に就いていたそうですが、ちょうど産休中で出勤できなかったのだそうです。

“ 2004年に災害対応ゲーム「クロスロード」に出会い、すっかり魅せられてしまいました。クロスロードは、次々にきびしい決断をせまられるリアルな災害対応シュミレーションゲーム。チームにわかれて、たとえば「あなたは、神戸市の職員です。自宅は半壊しているが、家族は無事。しかし、家族は心細い状態にある。電車は止まっている。あなたは、出勤するか出勤しないか」という問題に「イエス」か「ノー」をカードで答え、その理由を述べ合うものです。”

クロスロードは防災のためにつくられたものですが、子どもの安全や子育てにまつわる取り組みにも応用できるのだとか。

“ このゲームの答えには、正解がありません。それでも、少しでも災害発生時の心がまえを学んでもらえればいいな、という一心で活動を続けています。”

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続いて、一級建築士で「下町レトロに首っ丈の会」代表の山下香さんが登壇。山下さんは、阪神・淡路大震災で被害の大きかった神戸市兵庫区で生まれ育ちました。震災発生当時は、イギリスへ留学の下見に出かけていたとか。震災が起きたことを知り、すぐに帰国した山下さんは、その災害規模にただただおどろいたといいます。やがて、留学を終えて神戸に戻った山下さんは、下町のよさをもっと発信できないかと考えはじめます。

“ 神戸の兵庫区や長田区南部の下町には、野球ボール型のカステラを実演販売しているお店や、映画の看板絵師さんのアトリエなど、地域の「お宝」だといえる人や場所がたくさん存在します。ただ古いだけのイメージをレトロな雰囲気に変えることはできないか、と活動を開始したんです。”

2005年に活動をはじめ、地元の人たちだけが知る下町レトロ地図を発行。2011年までは月に1度のペースで下町遠足ツアーを開催し、協力してくださったのは約300人にのぼるといいます。

“ さらに住民グループの会を発足して、現在は3ヵ月に1度のペースで下町遠足ツアーを実行中。20代から70代まで老若男女が集まり、ツアーの内容から企画していくんです。現在、まちをつくっていているのは、震災の経験がないという人たちが大半。こういう活動が、地域の財産やコミュニティを共有していくきっかけになると思うんですよね。”

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最後は、大学を卒業する直前に、東日本大震災の復興支援を目的に起業した時井さん。阪神・淡路大震災発生当時はまだ4歳で、兵庫県三木市に住んでいたそうです。その後は小学校から高校時代まで、防災教育が盛んな静岡県ですごすことに...。

“ 静岡で触れた防災教育の影響もあって、防災というワードが意識の片隅にありました。神戸の大学に進学して防災について学び、東日本大震災が発生した2011年の10月に「神戸ともしびプロジェクト」をスタート。津波の被害で真っ暗になった被災地で、恐怖や心細さを感じたり、防犯面の危険性を危惧しているという声を聞いて、街灯を贈ろうと決心したんです。”

大学で有志を募り、神戸市長田区の商店街などで募金活動をスタート。2011年12月には、宮城県南三陸町に14本の街灯を送付。その後も被災地の特産品や素材を使った商品を販売しては、支援を継続しています。

“ 支援活動を継続していきたいという想いから、ビジネスとして経済面から被災地を応援しようと会社を設立しました。地域再生と被災地復興の両方を担うことができればいいなと考え、阪神・淡路大震災以降、産業が衰退していた神戸市長田区の職人さんと共に革小物の商品開発などを手がけています。”

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阪神・淡路大震災をきっかけにした、活動テーマ浜さんは、阪神・淡路大震災のおよそ1年前まで、震災の被害が甚大だった東灘区に住んでいたそうです。

“ 引っ越しの時期が違っていたら、どうなっていたのかわかりません。「生かされているのかも」と強く感じています。同時に、災害はどこでも起こりうるものなのだなと思いました。今では、地域の防災や防災教育が私の人生のテーマになっています。”

震災以降、課題を解決するための活動は多くありましたが、魅力を発掘していく活動はなかった、と山下さんは語ります。

“ 友人や地元の人に聞いても「自分のまちには魅力がない」って言うんです。けれど今までの活動から、きらきらと輝くものが必ず見えてくる。きっとどんな地域でも、独自の魅力があると思うんですよね。”

阪神・淡路大震災発生当時は4歳で、震災の記憶がほとんどない時井さんが震災について意識したのは、大学に通っていたころのことでした。

“ 所属していたゼミでコンペティションに参加したことをきっかけに、被災した方にインタビューしたり、資料を読むなどして、当時の様子を知ることができました。阪神・淡路大震災の経験をもとに、どうやって後世に語り継いでいくか…が今の活動につながっている気がします。”

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小さなことでいい、できることを継続することディスカッションの締めくくりに、「社会のために何かしたい」と考えている若者へ、メッセージをいただきました。

“ 何かひとつ、「自分の強み」や「心から熱中できること」を見つけて、発信できればいいですよね。若者が地域の活動になかなか参加してこないという話を聞くこともありますが、彼らを受け入れる土壌があるかのかどうかも問題なんです。想いを伝えたり、受け止めるコミュニケーションの場をつくっていくことが、まずは必要なのではないかなと思います。”(浜さん)

“ 平日は仕事をしながら、10年間コツコツと活動を続けてきました。「自分にできる、ちょっとしたことを見つけること」が大事。みなさんの今後の取り組みの参考になればいいなと思います。”(山下さん)

“ 今の活動で最も大切にしているのは「自分にできることを、自分の範囲でやる」ということ。どんなに小さくてもいいから、できることを探し、それを実現できるように行動していくこと。まずは、探すところからはじめれば、きっと何かにつながると思います。”(時井さん)

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参加者からは「地域活動や震災についての想いを、さまざまな視点で見つめることができ、自分の考えの幅が広がった」という声が。

阪神・淡路大震災で経験したことも、活動も異なる真山さん、浜さん、山下さん、時井さんですが...「自分にできること」を見つけて、地道に活動を続けてこられたところに共通点を見いだすことができます。真山さんのお話にもあったように、大切なことは、今生きている私たちが地道に「記憶」を伝えていくこと。

阪神・淡路大震災から20年という節目に、今回のお話が何を伝えていくべきかを見つめ直すきっかけになったことは、いうまでもありません。


(写真/森本奈津美 取材・文/山森彩)
特設サイトはこちら
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「神戸の経験を日本に、そして世界に伝えるために何が可能か」を共に考える

2014.10.14

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2015年1月17日、兵庫県を中心に大阪府などが大きな被害を受けた阪神・淡路大震災から20年が経過します。その間、私たちは東日本大震災をはじめとする数々の自然災害を目の当たりにし、命の尊さや人と人とのつながり、防災への意識を見つめ直し、語りあうことで実際の行動につなげていくための「場」や「きっかけ」をそれぞれに経験してきたことでしょう。

特に被害が甚大だった神戸市では、あの震災から20年を迎えるにあたって、震災で得た教訓や知恵を集め、世界に伝えていくプロジェクト「震災20年神戸からの発信」がスタート。

2014年7月11日、そのプロジェクトの一環として、「震災20年を語ろう」と題したイベントが開催されました。

神戸市民の約4割が、震災を経験していない今だから現在、神戸市民の約4割が、阪神・淡路大震災を経験していないと言われています。そんな今だからこそ、震災を経験した世代が震災の記憶を伝え、震災を経験していない世代と想いを共有しながらこれからの神戸を考えていくための「場」や「きっかけ」づくりが重要です。

この日は、あらゆる年代の方々が約80名、神戸市内外から集結。復興支援活動を続けているゲストスピーカーと共に、震災で起こった事実や経験したことをどう伝えていくのかを語り合う貴重なひとときとなりました。

「経験」と「ノウハウ」が、神戸の財産はじめに、阪神・淡路大震災をはじめとする国内外の災害復興支援にたずさわってきた神戸市広聴課長の古川厚夫さんが、ご自身のご経験を交えながら当時を振り返りました。

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阪神・淡路大震災は、約350万人が密集する、経済活動が盛んな都市で起こった直下型の大地震。まちなみや人々の心に与えた影響はもちろん、都市の機能や産業面にも大きなダメージをもたらしましたが、この震災を通して多くの学びがあったことも事実です。

“ 1995年は、多くのボランティアが神戸に訪れ、それぞれの活動がNPOに発展するなど「ボランティア元年」と呼ばれました。また、仮設住宅では、社会的弱者といわれる方々の入居が優先的に進められ、その結果、コミュニティの衰退や孤独死の問題など多くの課題が生じてしまったのです。東北ではその経験が活かされて、コミュニティ単位での入居が考案されました。”

神戸の財産はこの「経験」、すなわち「ノウハウ」であると古川さんは続けます。

“ 自然災害を未然に防ぐことはできませんが、心がけひとつで被害を最小限に抑えることは可能です。生活の個人化、少子高齢化が進み、地域のつながりが希薄になるなど、コミュニティの地盤が弱いところに災害が起こると被害はいっそう大きくなりますが、人のつながり(ソーシャルキャピタル)が強いところは回復力も強いのです。震災を経験している方々は「お宝市民」、私たちの財産です。私たち行政も共に、この経験を伝える活動を、普段の生活の中で地道に長く続けていきたいと思います。”

それぞれの立場で、できることからIMG_4024

ここからは、NPO法人ミラツク代表・西村勇哉さんのナビゲートにより、ゲストスピーカーを交えてのトークセッション。先ほどの古川厚夫さんに加え、神戸市灘区で地域活動に取り組む「ナダタマ」の慈(うつみ)憲一さん、兵庫県立大学准教授の内平隆之さん、NPO法人「Co.to.hana(コトハナ)」代表の西川亮さんが登壇しました。

ちなみにゲストの4名は、20代~50代。世代も被災した場所も、その後の活動方法もさまざまですが、震災をきっかけに、それぞれの場所でまちを元気にする活動に取り組んでこられたことは共通しています。

慈さんは当時、東京で働いていました。震災後、会社をやめて神戸に戻ります。

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“ 僕は、震災のときに神戸にいなかったのがトラウマになっているんです。そのことを指摘されるのが悔しくて、「まちあそび」というやり方で、懸命にまちづくり活動に取り組んできました。”

内平さんは、神戸大学の学生だった20歳のとき、神戸市灘区で被災しました。

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“ さまざまな復興支援活動に参加する中で人と出会い、僕自身が成長させてもらいました。今の学生にもそれを体感してほしいと思い、大学と地域をつなぐ活動を行っています。”

西川さんは、震災当時は大阪在住の小学2年生。その後、神戸芸術工科大学の学生だった頃に震災15年の事業に関わって、ご遺族の方からお話を聞く機会がありました。

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“ 街は復興したけれど、問題を抱えている人が大勢いることをその時に知ったんです。それから、NPO法人を立ち上げて「シンサイミライノハナPROJECT」という震災の経験を未来に伝えていく活動を続けています。”

震災を知らなくても、できることはある最年少の西川さんは、震災を知らない自分に何ができるのか、悩み続けたそうです。実際に、「震災を知らないのに、なぜ活動するのか」と厳しい意見を投げかけられたこともありました。

“ でも、ある人に、「震災を知らない、ということを先に相手に伝えたほうがいいよ」と言われ、はっとしたんです。どこか知ったかぶりをして構えているところがあったんですね。でもそれからは肩肘張らずに、被災した方々と向き合えるようになりました。知らないなりに、できることをやっていけばいいと思えるようになったんです。”

震災を知らない若い世代と活動を共にしている内平さんは語ります。

“ 成長するには、いろんな人の背中をみるのが早いんです。そのために、自らコミュニティに飛び込んでその経験をしてほしい。僕たちは、震災をきっかけにそういう経験ができたけれど、現代の学生でもできることなんです。”

キーワードは地域愛、人と人をつなぐデザイン一方で「まだ気持ちの整理ができていない」と語る、内平さん。震災当時、社会人だった慈さんも同じような想いを抱いているからでしょうか、彼らには、「震災」という言葉を前面に出さずにまちづくりにたずさわっているという、もうひとつの共通点がありました。

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“ わすれるために活動しているのに、あえて「震災復興」という言葉を使う必要はないと思ったんです。でも、震災は神戸のまちを見直すきっかけになって、そこから「地域愛」が生まれた。ひょっとしたら僕は、「震災」という言葉を使わずに、震災で経験した想いや事実を伝える活動をしてきたのかもしれません。”

それぞれの想いを率直に語った3人。これからの神戸に、どんな想いを寄せているのでしょうか。現在、石巻で復興支援活動に取り組む西川さんは、現地で多くの神戸の人に出会うそうです。その活躍ぶりを見て、神戸は復興支援活動の土壌が豊かなんだなと実感したとか。さらに、内平さんと慈さんが言葉を続けます。

“ これからの神戸は「人と人とをつなぐ」デザインの最先端都市であってほしい。人と人がつながってアクションを起こしていく機能をもっと発展させて、人中心の神戸にしたいです。”(内平さん)

“ これからも、まちを見直し、惚れ直してもらえるような活動を続けていきたいですね。”(慈さん)

私たちの言葉や行動で、経験を伝えていこう続いて、参加者がグループにわかれての、ワークショップが行われました。「震災20年の神戸の経験を日本に・世界に伝えるために何が可能か?」をテーマに「神戸の好きなところ」や、それぞれの震災体験を交えながら、熱い対話が繰り広げられました。最後に、「震災20年を迎える神戸で、未来へ伝えていきたいこと、誇れること」を付せんに書き、それぞれの想いを託しました。

今回のイベントで特に印象的だったのは、阪神・淡路大震災を知らない神戸市民が約4割もいるという事実でした。参加した方からも、「いろんな立場や年代の人が参加していることに驚きました」「震災を経験していなくても、自分にできることをやっていけばいいんだと思いました」など、前向きな声が多数寄せられました。

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今もなお、うまく整理できない想いを抱えている方が大勢おられるのだろうと思います。神戸の経験を伝えていくのは、私たちひとりひとりの言葉と行動。「知らないこと」や「抱えきれないもの」の重みに臆することなく、ありのままに伝える活動を続けていけたらいいなと思いました。

(取材・文/山森 彩)
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